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親友

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親友

私は「親友」という言葉が嫌いだ。この言葉は、とても胡散臭いものの塊のように思えるのだ。

何でも相談できる相手、沈黙になっても空気が変わらず居心地のよい相手など、いちいち説明するのが面倒なので、「親友」という言葉は便利かもしれないが、今の私にはこの単語はやっぱり使いたくない。

それは、私の過去の経験からだろう。

3〜4年生の頃、私にはとても居心地のよい親友がいた。しかし、彼女はある日突然転校してしまったのである。学期途中であったし、何らかの事情があったのだろう。私は何も知らされておらず、日がたつにつれて、私が一方的に親友だと思っていたのだろうと結論づけたのだった。
しかし、1年ほどした時に突然彼女から手紙が届いた。内容はもう覚えてないが、転校の理由は全く記憶にないので何も書かれてなかったと思う。その手紙でとても喜び、しばらく手紙の交換は続いたが、また彼女の方からぱったり返事がこなくなった。なんとなく、彼女の何かが変わってしまった印象を受け、私自身も手紙の交換が少しずつ楽しくなくなってきていた頃だった。

5、6年生でも親友と呼び合う友達がいた。私たちは毎日手紙の交換をし、自分たちは親友であると確認しあっていた。
私は彼女が他の友達と仲良くなるのが気に入らなかった。止めることはできないので、悲しかったり苛立っていた。親友なのにどうして私のことをみていないのかと思っていた。彼女もそんな気持ちをわかっているのだろう。意地悪をするように他の友達と仲の良いところを見せたり、無視されたこともあった。そしてしばらくすると戻ってくるのである。
今思うと、彼女には悪いことをしたなぁと思う。私は束縛したかったのだ。親友だよね、と何度も確かめずにはいられず、その確認は無意味なことにも薄々気付いていた。

中学生になりクラスも変わり、徐々に彼女とは話もしなくなった。友人の種類も全く違う。話も合わないだろうし、付き合いたいとも思わなくなった。もちろん彼女もそうで、どちらかと言うと彼女の方からそういう意思表示をしてきていた。私ももはや親友だったとは思えないほど気持ちは離れてしまった。

その結果、私に残ったものは、苦い思いだけなのである。楽しい日々もあったはずなのに。
もし、今でも付き合いが続き、対等の立場で相談しあったりする仲であれば、こんなことは起こらないだろう。
だけど、あれだけ親友ぶっていた仲で、最終は冷め切ってしまい、なぜ仲が良かったのだろうかという回答の出ない疑問だけが残るのみならば、もう今までの出来事が全て嘘のような、虚しいものに変化してしまい、苦い思いだけがずっと心の中に澱のように沈んでいるのである。

それから、私は「親友」という言葉は、胡散臭く思えるようにもなったし、使わないようになった。
随分長い間、友達の距離の取り方もわかりづらかった。近すぎては傷つくし、逆に離れると親しい友達と言えるのか。

それでもやっぱり親しい友達はできる。
高校生頃には、ふと少し寂しい気持ちを味わっても心の中でなんとか処理するようになり、そのうち、友達には友達の別の広がりもあり、私自身もそうなのだし、あまり固執してはいけないと理解し始めていた。

相手が必要とするぐらいの距離を自分でも自然と調整しつつ付き合っていく。

私には大事な友達がいる。
相談できる、聞くこともできる。一緒にいて居心地よく。沈黙も大丈夫。年に数回の連絡でも、会う回数が少なくても、大事に思える友達がいる。
そういうのを一般的に親友と呼ぶのかもしれない。でも、私はやっぱり親友という言葉は使いたくない。