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妊娠後期から出産後まで続いた恥骨痛の苦悩

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妊娠後期から出産後まで続いた恥骨痛の苦悩

最初に、恥骨痛に出来るだけならないためには、妊娠前からの適度な運動や骨盤を正しい位置にしておくことが必要だと思う。
それでもなる人はなるのかも知れない。

ここからは、ほとんど苦痛しか書かない。
数年前の話である。

妊娠後期から恥骨痛が始まる

娘を妊娠し、つわりもほとんどなく、妊娠時の苦しみがないなぁと思っていたのだが、後期に入り、恥骨が痛み始めた。

恥骨は骨盤の頂点辺りにある。
出産が近くなるにつれ、ホルモンの関係で骨盤が開き緩んでくる。

恥骨はその影響で開いてきて筋肉が緩むらしく痛みを伴う。

誰もがなるわけじゃない。
だから、なったことのない人には未知の痛みである。

元々姿勢の悪い人や過去に激しいスポーツをしていた人になりやすいと聞いたこともある。
それだけが原因じゃないと思うが。

妊娠後期から恥骨の辺りが痛いなと思っていて、それは出産が近くなるにつれてますます痛みを増した。

座っていても寝ていても痛い。
歩いて激痛。
寝返りで激痛。
起き上がるのも激痛。
いつもいつも激痛・・・

お腹が重くなるにつれて、お腹の中の娘が頭で私の恥骨をゴリゴリ押してるような感じに思えた。

ネットで体験談を見ると、出産したらすっと痛みがなくなったというのを目にした。

逆に作家のよしもとばななさんのようにひどく、恥骨結合離開になり、歩行困難というのも見た。

私はどっちになるかわからないけど、前者でありますように。
出産後、あの痛みが嘘のようにひっこんだという体験でお願いしますと。

だけど、違った。

出産後にも残った恥骨痛など三重苦

私は陣痛もかなり痛かったが、分娩室に移動する時、「じ、自分で歩いて下さいね!」と看護士に言われ、私は看護士と母の腕に捕まって移動したが、陣痛プラス恥骨痛の激痛で歩くのが困難で引きずられるように歩いた。

無事、出産した後、娘を抱っこし、
「あー良かった。ちゃんと生きて出てきた。良かった!」
と、一時間程、夫や両親と喜びを分かち合った。

その後、分娩室から入院する個室部屋に移動する時、車椅子に乗るのだが、私は恥骨痛の痛みで移動困難で、倒れこむような感じで座った。
看護師さんたちも驚き、少しクスリと笑っていたような気がする。
多分、彼女たちはこの痛みに経験がないのかも知れない。
だから、別に笑われても仕方ないなって思う。
でも、私なら恥骨痛でそのようになっている人を見たら同情するし、笑えないと思う。
即座に当時の痛みや辛さを思い出し同情できる。

翌日には恥骨痛は消えているだろうかと期待したが、全く消えず。

私は寝返りすら困難になり、必死で動こうとしたので、腰痛も引き起こし、起き上がれなくなる。

介護用ベッドなので、手元のボタンを押せば自動で背中部分が起き上がるのだが、試したところ、途中で腰に激痛が走り使えない。

母に腕を引っ張って起こしてもらおうとしたが、これも腰に激痛で無理。

私は寝ながら呆然とする。
これでは娘のお世話ができない。

私はとにかく起き上がるため、足を数センチずつ片足ずつ移動、尻を数センチずつ移動と、じりじりと一時間ぐらいかけて、少しずつ体をずらし、なんとか、ベッドの端に腰をかけることができた。

自分の足がこんなに重いものなのかと思った。

座ると、今度寝る体制に戻すのも困難だし、また一時間かけて寝た体制から起き上がるのも苦痛のため、私は就寝時間までずっとベッドの端に座っていた。
本当は横になってゆっくり休みたいのに。

次に歩行ができなかった。
母に手伝ってもらい、立ち上がる。
歩こうとするが、片足をあげることはできない。
恥骨痛がひどいのだ。
片足の状態は危険だ。
引きずるように数センチずつ前進した。
トイレは部屋についてるのだが、そこに行くまでも大変だった。
トイレに入ってもじりじりと洗面台に手をつきながら移動。
後の動作も困難を極める。

私は、翌日痛み止めをもらう。
そうすると、手助けなしで歩行できた。
でも、痛み止めがきいてるからで、根本が解決したわけではない。
私は不安だったが、娘の世話もできるし、シャワーも浴びれるようになり、嬉しかった。

私は下半身が崩壊していると思った。
恥骨痛、会陰を切った痛み、痔の痛み。
三重苦である。

笑ってもいい!
でも、本人にしたら痛いの!
それと、妊娠出産で痔になった人はたくさんいるから、あまり恥ずかしいと思ってない。

私は出産後、三日間便秘になり、「次出ないなら、下剤で出してね」と言われた。

私は出てほしいけど、出したくなかった。
三重苦の下半身から、便秘の便を出さなければならない!
私はそら恐ろしかった!

しかし、私は頑張った。
いつか出さなければならない。
本当はもう少し下半身が回復してからが良かったが、そんな悠長なことも言ってられない。

無事、出たのはいいけれど、下半身はさらに崩壊した気分だった。

会陰の糸は自然にとけるが、抜糸して早めにとれば引きつれもなくなり、少し楽になると聞き、私はぜひともやって下さい!と頼んだ。
ひとつでも痛みを減らしたかった。

その産婦人科は診察台が自動で動くものではなく、旧式のもので、自分で登らなくてはならない。

登る動作は恥骨痛のある人間には苦痛だ。
看護士さんに助けられながら必死で登る。

足を載せて待っていたが、診察は混んでいてなかなか先生が来ず、恥骨痛の私は足を震わせて待っていた。
あの体制では恥骨痛に優しい体制に移すことはできず、ひたすら、早くきてくれー!と心の中で叫び、耐えていた。

退院後も続く恥骨痛と新たな敵

退院後も恥骨痛は続いた。
出産直後から、毎日、恥骨痛の残った私はトコちゃんベルトを着けていた。

妊娠後期から出産後まで続いた恥骨痛の苦悩

娘を眠らせるには抱っこでゆらゆらが必要で、昼間は母に手伝ってもらい、夜も夫が手伝ってくれたので助かった。

ただ、昼夜逆転した頃は、夫は仕事があるので朝まで頼めないので、夜中から朝まで私は何度となく、娘を抱っこする。
恥骨痛と腰痛の残る体にはきつく、しかも、次は、左手が腱鞘炎になった。

会陰も痔も無事治ったけど、新たに腱鞘炎勃発。

とにかく、体が普通であればどんなに良かったことか!と嘆いた。

しかも、マタニティブルーも勃発して、辛かった。

当時は娘がかわいいと思うのだけど、それよりも痛い痛い痛い!の方が強く感じていた。

出産後1年にようやく終焉

しかし、恥骨痛も腱鞘炎も一年たつと、ほぼ治った。
生理になると、骨盤が広がるので、時々恥骨痛が出るけど、当時ほどでもない。
痛いなぁと思ったら、今でもトコちゃんベルトを着ける。
生理が終わればなくなる。

今では自転車も乗れるようになり、軽く走ることもできる。

二人目はもういいです

辛い思いをした程、記憶に刻まれる。
私はあの痛みをまだ忘れていない。

だから、もし、二人目を出産するなら、帝王切開をお願いするだろう。
恥骨痛を経験した場合、生むごとにひどくなるケースが多いからだ。
私なら間違いなく、次があるとしたら、歩行できなくなると思う。

しかし、もう年齢的にももう二人目はきつい等いろんな理由でほしいと思わない。
もうかわいいかわいい娘一人で十分である!
かわいい以上にいろんなリスクを背負い、もう一人!という気持ちには全くならない。

産婦人科を退院する際、アンケートがあった。
多分、2人目出産への意識調査的なものもあるのかもしれない。

「今回の出産に満足していますか?」

「はい」

私はアンケートに嘘を書いた。

「痛い」という選択肢があるならば、そこに何十、何百にも丸を付けただろう。